意識乱高下系大学生の徒然日記

東京から移住し起業したもののニート生活を送っているダメ大学生のダメ日記。※不定期更新

1+1は2だけど2じゃ無かった!?

師走も間近に迫った飫肥の夜は寒いです。

昼は暖かいですが夜はやっぱり冬だなと感じさせられる。

 

最近ふと思ったこと

「問いに正解で答えるのって正しいけど魅力的じゃないかもしれない」

 

今まで21年間、1+1は2だと教えられ、3とか4とか100は間違いだと。2と答える人が褒められ、100と答える人はバツを付けられる。そうやって生きてきた。

 

つい先日とある高校の学生による課外学習の発表を聞く機会があった。

彼ら・彼女らの発する言葉や発表はとても立派だし、自分の高校時代と比べたら遥かに良い経験をしていると思う。

しかし同時に思った。彼ら・彼女らは正解を言おうとしているな と。投げかけられた質問に対しても、間違いのない、正しい回答をしているのだ。

きっとそれは試験ならば満点だろう。そして試験で満点が取れるように教えられてきたのだろう(自分もそうだった)。

もしかしたら、正解を言うことは世間一般の多くの人には褒められることかもしれない。「立派だね」「偉いね」と

 

ふとここで自分のことを振り返ってみると、やはり正解を言おうとしている自分、話している自分が思い浮かんだ。当時、いや今の自分だって正解を言うことが正しいと思っていたし、そうすれば多くの人に褒められた。

しかし一方でこう問う人もいた。「それはお前の本心か?」「面白くない答えだ」

こう言われる度に、「何故この人達はそのようなことを言うのだろう。自分は正解の答えを言ったのに」こう思っていた。

 

ところがこの日、自分はこの一部の人達のような感想を抱いた。「彼ら・彼女らの答えは立派だ。しかし立派過ぎる。面白くないな」と

もしかしたらこれはただのひねくれ者の戯言なのかもしれない。

 

でももしかしたら、「正解を言えることが魅力ではない」という世界に一歩足を踏み入れたとしたらどうだろう。

 

これから自分がしなければならない、したいことは「(1+1=2が正解と分かりながらも)1+1を100にする、そしてそれを裏付けと自信を持って言い切る」ことなんじゃないか。

であるならば、正解を言う習慣は辞めなくてはならない。つまり21年間積み上げた常識をくつがえさないといけない。

 

 

はぁこれは面倒なことになったな

でも楽しそうだ

 

以上!